歴史が苦手な私でも「平清盛」は知っている。
今回ウォーキングした兵庫は、たとえ半年間ではあっても福原遷都が行われ、清盛が都を築いた所。いたる所に平清盛ゆかりの史跡がある。でも残念ながら、今の兵庫津に遠い都の風情はあまり残っていなかった。

兵庫の大佛さん

兵庫津の「津」とは「港」の古語。実際に兵庫津という地名はないけど、奈良時代から瀬戸内海有数の港として栄えた兵庫区の沿岸地域をいいます。
JR兵庫駅の東南にある能福寺の境内には、いきなりという感じで青銅の大佛さんが鎮座してはる。
この像丈11メートルの大佛さんは平成3年に再建されたもの。
元の大佛は明治24年に建立され、
奈良、鎌倉と共に日本三大佛に数えられてたけど、先の戦争で金属回収のために昭和19年5月、赤だすきをかけて出征(解体供出)したそう。
時代とはいえ、なんとも悲しい話。
昔を知る人によると、明治の頃の能福寺門前は商店が浜まで延々と続き、北の方は新開地までもつながってた。それに比べ現在の門前にその面影はない。
あまり広いとはいえない境内で、大佛さんがちょっと淋しそうやと見えたのは気のせい?

ボンネットバスに乗る

大佛さんの下で知り合ったのが、Tさんご夫婦。
兵庫県加古郡の土山から来はったそう。
「兵庫津の道で
ボンネットバスが走ってるので、どうしても乗りたくて。」と、奥さん。
なんでも期間限定で8月から10月の土・日曜だけ、
運賃100円のボンネットバスが走ってるんだって。知らなかった!
「私、小学校まで兵庫駅の北側に住んでたんですよ。でも、南側はあまり知らなくって。」「子どもも大きくなったし、他にもいろいろな所へ行ってるんです。」ご主人は横でニコニコ。仲よしのお二人です。
せっかくだから、ひと駅でも乗ってく事にした私。
でも時間の都合で、Tさんご夫婦とは別のバスになって残念。
新川運河に沿って歩いて、清盛塚の近くにある臨時バス停でしばらく待ってると、やって来たのがボンネットバス。
エッ、ちょっと小さすぎる!えらいミニサイズやんか。
美人の車掌さんがいうには、
「昔のバスの部品がもうなくて、全く同じバスはもう作れないんです。」
でも、中はびっしり超満員。
見渡したところ、中高年の人が多いみたいやけど「ボンネットバス」の響きに懐かしさを覚えて、乗りに来はったんやろか。
みんな嬉しそうな顔して遠足みたい。

働く男の街?

ウォーキングの途中、ひと駅のつもりがふた駅もバスに乗ってしまった。
降りた所は
和田神社。この神社は白い蛇が神さんのお使い。小さな焼き物の白蛇に願いごとをかいてお供えします。
話好きの和田神社の宮司さん。「そもそも兵庫という名はつわものぐら(兵器庫)からきてるといわれてる。大阪の港と違うて兵庫津は深いから、底が深い昔の船でも楽にはいれたんです。
平清盛も武器を運ぶ要所として、押さえたかった場所やった。」遠い昔の戦いの時代やね。
「運河をはさんでこのあたりは運南という。昭和の半ばぐらいまでの運南の賑わいは、きっと今からは想像できんやろね。町家も多く、商店や遊廓もあったんですよ。」
いつしか重工業や輸送の形も大きく変わって、兵庫津を行き来する人は少なくなった。
でも今は、
兵庫埠頭に中央市場。浜の埋め立て地では、船舶を造る重工業。運河の端には材木屋さん、そして電車の車両を造る工場と、ここは人々が働きにくる街。どっちかというと、ヘルメットがよく似合う男の職場というイメージかな。
そういえば、あまり人に出会わへんかったけど、よーく考えたらみんな働いてたんやね。
兵庫津や運河の木場の昔の賑わいをいわれても、今とのギャップに寂しさを覚えるばかり。時代の流れのきびしさが感じられる兵庫津あたりでした。でも、御崎公園には2002年のFIFAワールドカップ開催球技場の「神戸ウイングスタジアム」が完成。今までと違った人の流れが生まれるんやろうね。そして又、人の賑わう街になってくのやろか。
(2001.10.6 ともこ記)
ウォーキングコース
兵庫県神戸市兵庫区
運河から兵庫津
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